アラサー鬼女がジャニオタに ⑤派閥編
アラサー鬼女がジャニオタに ④初めての現場編
さて、年が明け2013年。
アラサー鬼女がジャニオタに ③最後の抵抗編
自分が光くんのファンであると認めた当時、大学の同期にまず話したと思います。
アラサー鬼女がジャニオタに ②葛藤編
ジャニーズとの接点といえば、小中学生の頃、友達の影響でちょっとSMAPが好きだったくらい。その当時は中居くん。でも田舎の中学生だった私は、テレビで中居くんを見るだけで満足でした。小中学生で芸能人を好きになるって、一種の通過儀礼的なもので、ある程度みんな経験するんじゃないかな。私もそんな感じだったと思います。
そして高校進学と同時に、芸能人に熱を上げるような事は自然となくなりました。
それ以降、誰か気になるタレントがいたことはありません。
特に大学生になってからは、テレビすらまともに見なくなったし、エンタメ情報にはかなり疎い方だったと思います。
社会人になっても、テレビは付けているだけで、意志を持って見る対象ではなかったかな。
だから光くんが突然気になり始めたことにはしばらく葛藤がありました。
深入りはやめておこう。いい大人がジャニーズの、しかも自分より6歳も年下のアイドルにキャーキャー言ってるなんて。何より私のキャラじゃない。
でも医者僕が終わってからも、やっぱり気になる気持ちは変わらず、毎週のスク革とヤンヤンJUMPが密かな楽しみになっていました。
2012年当時、ライトなファンになりかかっていた私にとって、毎週光くんが見れる番組があるというのは大きな意味を持っていました。
しかもスク革でもヤンヤンJUMPでも歌コーナーがあったので、光くんのアイドルとしてのパフォーマンスを見てどんどん光くんの魅力に惹かれていきました。
気付けば、光くんのことをネットで調べるようになりました。光くんの番組出演情報、ファンの方のブログ、Twitterでつぶやかれていること。
誰かのファンのことを「担当」と呼ぶこと。ファンを辞めることは「担降り」で、コンサートは「魂」と略されること。(こういうジャニオタ用語も、最初はかなり抵抗がありました)
Ya-Ya-Yahというグループがあったこと。そこで光くんは薮くんと一緒にJr.のトップを張っていたこと。やぶひかのこと。JUMPのグループの成り立ちと、メンバーの関係性…。
ネットに上がってるJUMPartyを探して見たり、JUMPaperの存在を知ってジャニーズwebに登録したり。(そういえば、当時ちょうど光くんと某モデルさんとのディズニーデート情報がTwitterに上げられててすごい騒ぎになってたけど、この時私はまだ半分外野な気持ちだったので、まあ20代前半のイケメンが彼女いない訳ないだろ〜!とも思ってました。)
そうやってちょっとずつ、光くんの知識、ジャニーズの知識、JUMPの知識を増やしながらも、まだ私は、自分を「八乙女担」と名乗ることは出来ませんでした。
そして、その葛藤を打ち破ったのは、JUMPWORLDのDVDを観た時でした。(もうDVD買ってる時点でファンと認めろよ!って話ですが)
そのライブDVDを見て、光くんが1番輝く場所は、歌って踊れるライブなんだと思いました。彼の職業はやはりアイドルなんだと。
光くんの演技がきっかけで光くんに惹かれたけど、アイドルをしている光くんの丸ごとを応援したい。キラキラ輝く光くんをもっともっと見たい。
光くんを知ってから7ヶ月経ってようやく、私は光くんのファンである自分の気持ちを受け入れました。
アラサー鬼女がジャニオタに ①出会い編
八乙女光くんを応援し始めてかれこれ4年が経ちます。
JUMPが10年目を迎える前に、
ちょっと備忘録的な意味でブログに綴っておこうと思い立ちました。
結婚して数ヶ月経った27歳の春、出会いは突然訪れました。
珍しく毎週チェックしていたドラマ「37歳で医者になった僕」で彼という存在を始めて知りました。
主人公の草なぎくんが食品メーカーから恋人のために医者に転身するというストーリーでしたが、当時食品メーカーで営業をしながら結婚後の働き方に悩んでいた自分と重ねて見始めたのがきっかけでした。
2話目くらいまでは、光くんのことを最近出てきた若手俳優のうちのひとりだと思って見ていました。本当に医者僕で始めて見たし、この時はまだ名前すら認識していませんでした。でも、すごく素敵な演技をする子だなぁと好感を持って見ていました。
そして4月の終わりの日曜日、たまたまお昼に付けていたテレビで、Hey!Say!JUMPの八乙女光としてスクール革命に出ている彼を発見したのです。
そこで見た光くんは、私がドラマで見ていた下田先生ではなくて、キラキラしたアイドルの八乙女光くんでした。バカっぽさ全開でバラエティを盛り上げてるけど、ライブコーナー(この当時のスク革では毎週あった)での歌やダンスはめちゃくちゃキマってる。
え、この子の触れ幅半端ないな…と衝撃を受けたのを覚えています。
このギャップで一気に光くんが気になる存在になりました。
何でこんなに演技上手いのに話題にならないんだろう?私が知らないだけ?
そんな気持ちで、光くんについて初めてYahoo検索をかけた言葉は「八乙女光 演技」でした。
そこで最初ヒットしたのは、光くんがメインキャストで出演した金八先生第7シリーズの演技の評価でした。
金八は健次郎ドンピシャ世代。でもそれ以外のシリーズは見たことがありませんでした。
とにかく光くんの演技をもっと見たい。
そう思ってすぐにTSUTAYAに借りにいきました。
たまたまその当時、金八先生の舞台である足立区に住んでいて、北千住のTSUTAYAに借りに行ったのに全話揃ってなくて「地元なのにけしからん!」と憤慨しながらTSUTAYAを数件はしごしました。
折しも時期はゴールデンウィーク。何処にも出掛けず、ただひたすら金八先生を見続ける大型連休になってしまいました。
金八先生は内容がハードすぎて、しゅうが可哀想すぎて、実はそれ以来見ることができません。
見始めたら、しゅうに希望の光が見える最終話まで見ないと気が済まなくなるので、スペシャルを含めた23話を一気に見る体力も気力も時間も無いな…と思ってしまうからです。
金八先生を全話見たゴールデンウィーク明けの会社は本当に辛かった。それくらい私の心には、しゅうの存在が重たく残っていました。
そして金八先生を見てから更に光くんが気になるという気持ちが強くなりました。こんなにハードな演技をしている中、彼がYa-Ya-Yahとしてアイドルをやっていたという事実と重ね合わせると、その当時の事は知らないけど、本当にすごく苦労したんだろうなぁと感心しました。
ただ、この時点でJUMPのメンバーすら分からない、もっと言うと、嵐より後にデビューしたジャニーズ自体そんなに良く知らない私にとって、このまま光くんのファンになるというのは、あまりにも抵抗がありすぎました。
私がジャニーズにハマる?しかも平成生まれ?この歳で?いやいやいや…まさか。
別にファンでは無い…ちょっと気になるだけ…そう思いながら、毎週こっそり、医者僕とスク革とヤンヤンJUMPをチェックする日々が続きました。