You are my light

八乙女光くんを応援しています

アラサー鬼女がジャニオタに ⑤派閥編


東京ドーム公演以降の2013年のツアーは、またそれまでの様に、ネットに上がってくるコンレポを楽しみに過ごしていました。
このツアーでは、光くんがMC中にメンバーのキャラを描くというのをやっていて、毎回新しいぷぅの闇写を必死に探していたのを覚えています。

一方で2013年は大きな出来事がありました。

まず、JUMPが少クラを卒業したこと。そして、ヤンヤンJUMPが突然終了したこと。
少クラでは交代で司会を担当していたJUMPですが、突如として6月の収録から参加しなくなり、JUMPの番協募集欄からも消え、そのまま卒業というような形になりました。
ヤンヤンJUMPも、本当に何の前触れもなく、テレビ番組表の次週放送回にさり気なく「終」の文字がつき、え?誤植?リニューアル?何で?という感じでした。
しかも最終回も、番組内で最終回ということに特に触れられることは無く、やぶひかが石原良純さんとダムを見に行くというごく普通の(失礼)内容でした。
これを収録した時は、光くんも薮くんも、スタッフさん達も最終回になるとは思ってなかったのかもしれないな…と思うと、やるせない気持ちになりました。
でも同時に、またいつか復活するって気持ちを込めて、編集時にも、敢えてテロップやナレーション等で最終回とは入れなかったのかもしれないな、そうだったらいいな、とも思いました。

そんな中、ジャニーズフィルムフェスタの開催が発表されました。東京ドームシティホールで8月から開催されたフィルムフェスタは、JUMPが、城島くんから事務所のライセンスはデビュー5年で失効すると告げられ、先輩ジャニーズから色々学んで、ライセンスを更新するというような内容でした。(ざっくり言うと。)
そして、出演した先輩がいわゆるジュリー派閥のグループばかりだったので、直近の状況も含め総合的に考えて、JUMPは派閥を移動したのではないか、という話がまことしやかに語られるようになりました。

正直、私自身もともとかなり現実主義的なところがあるので、こういう夢の世界の舞台裏は極力見たくないというか、詳しく探っても冷めるだけなので、できるだけ深追いしたくない派なのですが、派閥移動はJUMP自身が望んだと言われていて、まあそれが真実なんだろうな、とは思っています。


ジュリー派閥になって、JUMPは飛躍的にテレビ露出が増えたし、CDも出してもらえるようになったし、飯島さんも退職してしまった今となっては、ほとんどのJUMPファンは、あの時派閥を移動して良かった、と思っていると思います。 

ただ私自身は、派閥が移動しようとしまいと、光くんの資質や魅力が変わるわけではないので、どちらが良かったのか、現時点で特に結論を持っていません。
どちらの派閥にも大なり小なりメリットデメリットがあったし、そもそも派閥なんて無く色んな先輩とお仕事ができる方が良いに決まってます。(SMAPとの共演を断たれてしまったのはすごく残念でしたし。)

これから先の芸能生活においても、光くんにとって、事務所の力が追い風になる時も逆風になる時も、どっちもきっとあると思うけど、光くんは風向きなんかに左右されないで、自分の信じた道を着実に進んで行って欲しい。
今はとにかく、そう願っています。


アラサー鬼女がジャニオタに ④初めての現場編

さて、年が明け2013年。

この頃になると、総合的に言って自分も一種のジャニオタなんだろうと自覚していましたが、FCに入ろうという気持ちはまだありませんでした。
FCに入ったら、何となく自分自身が光くんやJUMPを応援する事を義務だと感じてしまいそうで嫌でした。
あくまで自由意志で光くんを応援したい。
そしてこの時はまだ、そのうち光くん熱が冷めるだろう、とどこかで思っていたのかもしれません。(結局それからも光くん熱は加熱するばかりで、冷めたことは一度もないのですが!)

また、FCに入らなかったもう一つの大きな理由は、現場に行きたいとは思っていなかったからです。
光くんのファンであることも、一種のジャニオタであることも受け入れてはいましたが、やはりJUMPファンの若い子に混じってライブに行くというのはかなり高いハードルです。
今まで現場に行かなくても、ドリボやジャニワのレポだってしっかりチェックして光くんの活躍を感じていたし、テレビやライブDVDでも充分楽しめる。いわゆる茶の間ファンとして活動?を続けていくつもりでした。



そう…あの日までは…。


この年の4月から始まった全国へJUMPツアー。いつものようにブログやTwitterでレポを読んで楽しんでいました。
東京公演は5月にドーム2日間。しかしこれがなかなか埋まらないということで、JUMP界隈はざわつき始めました。
公演日まで1か月切ってからスーパージャンピングシートという伝説の(笑)席が発表された時は、自由意志で応援しているはずの私も「これは何とかして席を埋めないとダメだ」という、猛烈な義務感に駆られました。
実際、東京ドーム公演のチケットは、公演日間近になっても、一般発売で余裕で買える状況でした。
ドーム公演1週間前、私はセブンで1時間近く迷った挙句、ついに旦那と2人分のチケットを購入しました。


こうして、2013年5月12日、私は旦那とJUMPコンサート初参戦を果たしたのです。


肝心なライブの内容ですが、3年以上前の初現場を今更思い出そうとしても、詳細は全く覚えてないです、正直…笑


ただ、鮮明に印象に残っていることは、グッズを買う時に山ちゃんの在庫数と、他のメンバーの在庫数が明らさまに違っていたこと。山ちゃんが絶対エースだという認識はもちろんありましたが、山ちゃんグッズは、他のメンバーの3倍も4倍もストックがあって、こんなに人気の差があるんだ!と改めて知って純粋にびっくりしました。
あと、結局埋まらずに黒い布で覆って隠してあったスタンド後方の座席…。あれを見た時は胸をえぐられるような気持ちになりました。

そして史実として覚えているのは、カモナがシングルとして発売されることが発表された事。それからセクゾのFC発足もこの場で発表されていました。そう、後輩グループの力も借りて何とか座席を埋めたドーム公演でした。


初現場の感想を正直に言うと、やはり自分は茶の間ファンの方があってるな…という感じでした。
とにかく終始自分が場違いな場所にいる気がしてソワソワしていました。みんなが自然と発する歓声も、常に自我との葛藤があり、ただ黙って見ていたと思います。
少し言い訳すると、一般発売の席だったので、かなり遠かったし、周りも熱狂的な感じではなく、ノリすぎると逆に浮いてしまう様な雰囲気もありました。
生で光くんを見れるのはもちろん嬉しかったけど、それ以上に、あの時は自分の場違い感が気になってしょうがなかった…


ただ、今になって考えると「どんだけ自意識過剰なんだ!誰も何も気にしてないし、むしろ自担しか見てないわ!」って思いますけどね。

そう、あの時これで最後だと思っていた現場でしたが、結局それは始まりにすぎなかったのです…笑

アラサー鬼女がジャニオタに ③最後の抵抗編

自分が光くんのファンであると認めた当時、大学の同期にまず話したと思います。

久しぶりに会う同期達にそんな報告をするくらい、私にとってジャニーズの誰かを好きになるというのは異常事態でした。
でもジャニーズって意外と市民権?を得てて、そこまで驚かれなかったのは予想外だったかな。(この時、私の親友も大学時代、実は嵐のファンクラブに入っていたと判明したので、むしろそっちの方がびっくりでした。)
あと、意外に光くんの認知度が高いことも嬉しい誤算でした。同世代の友人は、金八先生のしゅうやスク革で、光くんを知っている人が結構いました。(やはり私はエンタメに特に疎い人間だったようです)

ただ当時の私は「八乙女光くん」が好きなだけで、ジャニーズが好きなわけではないし、ましてやジャニオタでは決してない、という最後の抵抗をしていました。

とはいえ、光くんを好きだと認めてから、毎日がキラキラするようになった感覚がありました。日ごろ泥臭い営業をやっていた私にとって、テレビでキラキラ輝く光くんを見ることが最大の癒しでした。
この年のMステスーパーライブ(2012.12.21)でJUMPがビトラを披露した時、光くんがした背面ピースは何度リピートしただろう。
それから、その直後の火曜曲SPのジャニーズメドレー(2012.12.25)。山ピーに抱きついて甘える光くんや、吾郎さんに絡んで貰えない光くん、NAI・NAI 16で中居くん香取くん草なぎくんのバックでニッコニコ笑いながら踊る光くん、先輩との共演で新たに見れる光くんの表情にただただ夢中になりました。

やはりジャニーズと光くんは切り離すことはできないんだな…そういう気持ちも芽生え始めました。

別にジャニーズそのものに、好き嫌いという感情はありませんでした。
でも、一般的なイメージで、実力がなくても事務所の力でごり押しされて仕事貰えるんだろうなってネガティブな印象があったのは事実です。まぁ、この部分は現在でも変わらない認識ですが。
ただJUMPを知って1番びっくりしたのは、みんな歌もダンスも普通に上手い!という事。今思うと失礼だけど、いい意味でジャニーズのイメージを変えてくれました。
あとジャニーズでも当然のようにバラエティ力が求められている時代に、JUMPはそれが苦手。私はそれが逆にJUMPの魅力だと感じていました。
JUMPの人気が上がらないの理由として、当時からキャラがないとかトーク力がないとか、そんな風に言われていましたが、私は無理に大衆に消費されるような存在にはならなくていいと思っていました。
彼らのキラキラ感は、真似をしてできるようなものじゃない…天界人の彼らが愚民どもに迎合する必要などない!そんな風にすら感じていました。
こうして、気付けば光くんだけでなく、JUMPというグループの持つ雰囲気も大好きになっていました。
もちろん売れてほしいし、もっともっとテレビでも見たいとは思っていましたが、でもそれで彼らがバラエティ力を磨く、という選択肢になるなら、それは違う。彼らなりのやり方を見出してほしい、そんな気持ちで応援していました。

JUMPファンだと言うと、「どういうとこが好きになの?」って、よく聞かれました。「とにかくキラキラしてるから」私はいつも、そう答えていました。

アラサー鬼女がジャニオタに ②葛藤編

ジャニーズとの接点といえば、小中学生の頃、友達の影響でちょっとSMAPが好きだったくらい。その当時は中居くん。でも田舎の中学生だった私は、テレビで中居くんを見るだけで満足でした。小中学生で芸能人を好きになるって、一種の通過儀礼的なもので、ある程度みんな経験するんじゃないかな。私もそんな感じだったと思います。

そして高校進学と同時に、芸能人に熱を上げるような事は自然となくなりました。

それ以降、誰か気になるタレントがいたことはありません。


特に大学生になってからは、テレビすらまともに見なくなったし、エンタメ情報にはかなり疎い方だったと思います。

社会人になっても、テレビは付けているだけで、意志を持って見る対象ではなかったかな。


だから光くんが突然気になり始めたことにはしばらく葛藤がありました。

深入りはやめておこう。いい大人がジャニーズの、しかも自分より6歳も年下のアイドルにキャーキャー言ってるなんて。何より私のキャラじゃない。

でも医者僕が終わってからも、やっぱり気になる気持ちは変わらず、毎週のスク革とヤンヤンJUMPが密かな楽しみになっていました。

2012年当時、ライトなファンになりかかっていた私にとって、毎週光くんが見れる番組があるというのは大きな意味を持っていました。

しかもスク革でもヤンヤンJUMPでも歌コーナーがあったので、光くんのアイドルとしてのパフォーマンスを見てどんどん光くんの魅力に惹かれていきました。


気付けば、光くんのことをネットで調べるようになりました。光くんの番組出演情報、ファンの方のブログ、Twitterでつぶやかれていること。

誰かのファンのことを「担当」と呼ぶこと。ファンを辞めることは「担降り」で、コンサートは「魂」と略されること。(こういうジャニオタ用語も、最初はかなり抵抗がありました)

Ya-Ya-Yahというグループがあったこと。そこで光くんは薮くんと一緒にJr.のトップを張っていたこと。やぶひかのこと。JUMPのグループの成り立ちと、メンバーの関係性…。

ネットに上がってるJUMPartyを探して見たり、JUMPaperの存在を知ってジャニーズwebに登録したり。(そういえば、当時ちょうど光くんと某モデルさんとのディズニーデート情報がTwitterに上げられててすごい騒ぎになってたけど、この時私はまだ半分外野な気持ちだったので、まあ20代前半のイケメンが彼女いない訳ないだろ〜!とも思ってました。)


そうやってちょっとずつ、光くんの知識、ジャニーズの知識、JUMPの知識を増やしながらも、まだ私は、自分を「八乙女担」と名乗ることは出来ませんでした。


そして、その葛藤を打ち破ったのは、JUMPWORLDのDVDを観た時でした。(もうDVD買ってる時点でファンと認めろよ!って話ですが)

そのライブDVDを見て、光くんが1番輝く場所は、歌って踊れるライブなんだと思いました。彼の職業はやはりアイドルなんだと。

光くんの演技がきっかけで光くんに惹かれたけど、アイドルをしている光くんの丸ごとを応援したい。キラキラ輝く光くんをもっともっと見たい。

光くんを知ってから7ヶ月経ってようやく、私は光くんのファンである自分の気持ちを受け入れました。


アラサー鬼女がジャニオタに ①出会い編

八乙女光くんを応援し始めてかれこれ4年が経ちます。

JUMPが10年目を迎える前に、

ちょっと備忘録的な意味でブログに綴っておこうと思い立ちました。




結婚して数ヶ月経った27歳の春、出会いは突然訪れました。


珍しく毎週チェックしていたドラマ「37歳で医者になった僕」で彼という存在を始めて知りました。

主人公の草なぎくんが食品メーカーから恋人のために医者に転身するというストーリーでしたが、当時食品メーカーで営業をしながら結婚後の働き方に悩んでいた自分と重ねて見始めたのがきっかけでした。

2話目くらいまでは、光くんのことを最近出てきた若手俳優のうちのひとりだと思って見ていました。本当に医者僕で始めて見たし、この時はまだ名前すら認識していませんでした。でも、すごく素敵な演技をする子だなぁと好感を持って見ていました。


そして4月の終わりの日曜日、たまたまお昼に付けていたテレビで、Hey!Say!JUMPの八乙女光としてスクール革命に出ている彼を発見したのです。

そこで見た光くんは、私がドラマで見ていた下田先生ではなくて、キラキラしたアイドルの八乙女光くんでした。バカっぽさ全開でバラエティを盛り上げてるけど、ライブコーナー(この当時のスク革では毎週あった)での歌やダンスはめちゃくちゃキマってる。

え、この子の触れ幅半端ないな…と衝撃を受けたのを覚えています。


このギャップで一気に光くんが気になる存在になりました。

何でこんなに演技上手いのに話題にならないんだろう?私が知らないだけ?

そんな気持ちで、光くんについて初めてYahoo検索をかけた言葉は「八乙女光 演技」でした。


そこで最初ヒットしたのは、光くんがメインキャストで出演した金八先生第7シリーズの演技の評価でした。

金八は健次郎ドンピシャ世代。でもそれ以外のシリーズは見たことがありませんでした。

とにかく光くんの演技をもっと見たい。

そう思ってすぐにTSUTAYAに借りにいきました。

たまたまその当時、金八先生の舞台である足立区に住んでいて、北千住のTSUTAYAに借りに行ったのに全話揃ってなくて「地元なのにけしからん!」と憤慨しながらTSUTAYAを数件はしごしました。

折しも時期はゴールデンウィーク。何処にも出掛けず、ただひたすら金八先生を見続ける大型連休になってしまいました。

金八先生は内容がハードすぎて、しゅうが可哀想すぎて、実はそれ以来見ることができません。

見始めたら、しゅうに希望の光が見える最終話まで見ないと気が済まなくなるので、スペシャルを含めた23話を一気に見る体力も気力も時間も無いな…と思ってしまうからです。

金八先生を全話見たゴールデンウィーク明けの会社は本当に辛かった。それくらい私の心には、しゅうの存在が重たく残っていました。

そして金八先生を見てから更に光くんが気になるという気持ちが強くなりました。こんなにハードな演技をしている中、彼がYa-Ya-Yahとしてアイドルをやっていたという事実と重ね合わせると、その当時の事は知らないけど、本当にすごく苦労したんだろうなぁと感心しました。


ただ、この時点でJUMPのメンバーすら分からない、もっと言うと、嵐より後にデビューしたジャニーズ自体そんなに良く知らない私にとって、このまま光くんのファンになるというのは、あまりにも抵抗がありすぎました。

私がジャニーズにハマる?しかも平成生まれ?この歳で?いやいやいや…まさか。

別にファンでは無い…ちょっと気になるだけ…そう思いながら、毎週こっそり、医者僕とスク革とヤンヤンJUMPをチェックする日々が続きました。